ジャズが聴こえる

私の好きなジャズレコード、ミュージシャンの紹介や、ジャズにまつわる思い出話などを綴っていきます。

京都三条河原町、ジャズ喫茶「BIG BOY」の日々~モリちゃん、うどん事件~

1980年代、私が学生時代にアルバイトをしていた、京都三条河原町近くのジャズ喫茶「BIG BOY」での日々を綴ります。


モリちゃんは、私がBIG BOYに入店する少し前に辞めていました。だから、一緒に働いていたことはないのです。
だけど、モリちゃんは辞めた後もよく店に遊びには来ていました。そしてBIG BOYの仲間に誘われて入ったバンドに、モリちゃんも参加していたので、顔なじみになっていきました。

モリちゃんは確か私の2つ3つ上だったと思います。アルトサックスを吹いていました。
みんなだいたい、「モリくん」「モリちゃん」と呼んでいましたが、BIG BOYでの公式(?)ニックネームは「バード」でした。

モリちゃんのアイドルは、チャーリー・パーカーなのです。だから恐らくこれは、モリちゃん自身がバードと呼んで欲しくて、自己申請したニックネームなのだと思います。
だけど、「バード」だとカッコよすぎるし、ちょっと恐れ多いのではないかと皆感じたのでしょう。「バード」ではなく「鳥(とり)」と呼ばれていました。
なんだかんだで、「モリくん」「モリちゃん」と呼ばれ、たまに「鳥」と呼ばれていたのです。さすがに「バード」と呼ばれるのを聞いたことは、私はなかったです。

モリちゃんとは、一緒にバンドをやっていた以外は、ほとんどプライベートで一緒に行動することはなかったのですが、ある出来事があり、そのおかげ(?)でモリちゃんは私にとって忘れられない存在になりました。

BIG BOYの仲間に誘われた、モリちゃんも参加していたバンドは、「せんきれバンド」というバンド名のファンクバンドでした。そして、ホーンセクションがみなBIG BOYのバイトスタッフでした。トランペットのクマさん、テナーサックスのモトヤス君、アルトサックスのモリちゃんです。
リズムセクションは、大学生がほとんどでした。そのリズムセクションに私がキーボードとして誘ってもらえたのです。

ベースが京都府立医科大学の学生で、バンドの練習はいつも府立医大の練習室を使っていました。
そんな縁もあり、府立医大の学祭に出場したのです。
その時の演奏など、全く忘れてしまったのですが、打ち上げの席だけはしっかりと記憶に残っているのです。

打ち上げは府立医大の学園祭に出店していた模擬店テントで行いました。
打ち上げと言うか、演奏が終わった流れで、そこら辺の模擬店のテントに潜り込んで、酒盛りを始めたのです。
そこでモリちゃんと、ある出来事が起こりました。

何が発端かなのかは覚えていません。
喧嘩が始まったわけでもありません。
モリちゃんも私もみんなも機嫌がよく、しこたま酔ってハイになっていました。
そんな中、私は飲みながらうどんを食べていました。
モリちゃんが何か面白いことを言ったのか、もしかしたら私をいじって、からかったのかもしれません。
私はそれに対して腹が立ったわけではないのです。
全く逆で、何だか楽しくなってしまい、思わず食べていたうどんのプラスティック製ドンブリを、モリちゃんの頭にかぶせたのです。

見事にスッポリと、まるで帽子のように、ドンブリはモリちゃんの頭にはまりました。そのかぶせた感覚、情景は、よく覚えています。
一瞬、時間がとまったように思えました。
麺と汁が飛び散り、ドンブリを被ったモリちゃんの顔には、うどんが垂れ下がり、汁が垂れ落ちたのです。

次の瞬間、モリちゃんは「こーいつぅぅぅー!!」と叫んで立ちあがりました。私は身の危険を感じて、急いで逃げたのです。

「まぁーてぇぇえーー!」
悪魔のような叫び声をあげて、モリちゃんが追いかけてきます。私は府立医大の構内を必死で逃げまわります。そして、植え込みの中に身を潜めたのです。モリちゃんが叫び声をあげて通り過ぎていきました。

普段のモリちゃんは、とても穏やかで、いつもニコニコしていました。
バンドの練習中も、みんなが熱くなって、険悪な空気になりそうな時は、間に立ってみんなを落ち着かせるようなタイプでした。
そんなモリちゃんが、あれだけ叫び声をあげて怒ったのだから、それは大変なことです。
あの怒り様では、簡単には収まりそうにない。そう思った私は、かなり長い時間、植え込みに潜んでいました。

やがて、頃合いを見てテントに戻ってみました。
そうしたら、みんな普通に酒盛りを続けていました。モリちゃんもタオルを頭からかぶり、戻ってきた私を見つけると、「かなわんなぁ~、もぉ~」と言ってきました。いつもの温厚なモリちゃんに戻っていて、私はホッとしたのです。
そんな温厚なモリちゃんだから、私も甘えてそんなことをしてしまったのでしょう。それにしても、もし出来立ての熱々だったら、頭と顔にやけどをしていたかもしれない。今にして思うと、とんでもないことです。

そんなモリちゃんは、BIG BOYが閉店して、やがて私が京都を離れた後も、20年近く毎年、年賀状を送り続けてくれました。
その年賀状も何年か前には途絶えました。
けれど、今でもドンブリを被せられたモリちゃんの姿は、はっきりと思い出せるのです。