ジャズが聴こえる

私の好きなジャズレコード、ミュージシャンの紹介や、ジャズにまつわる思い出話などを綴っていきます。

京都三条河原町、ジャズ喫茶「BIG BOY」の日々~クマさん~

1980年代、私が学生時代にアルバイトをしていた、京都三条河原町近くのジャズ喫茶「BIG BOY」での日々を綴ります。


「BIG BOY」のバイト店員は、みな個性があって印象的でした。
その中で、「クマさん」と呼ばれていた彼は、私の2~3歳年上で、トランペットを吹いていました。

そもそも、なぜクマさんと呼ばれていたかというと、レコードを聴いている姿からきたのです。腕を組み、目を閉じてうつむきながら、リズムに合わせて首を振る、そんな姿が熊のようだから、という理由でした。

親しみを込めて呼ぶときは「クマ」「クマさん」でしたが、ののしったりするときは「シャケ」でした。
これは木彫りのクマがシャケを咥えていることから由来していて、言い合いをしているときなどは「なに言うとるんや、シャケ!!」みたいな感じでした。

クマさんは、かなり裕福な家の育ちだったらしいですが、お父さんが事業に失敗したか何かで借金の取り立てに会い、一家離れ離れになって逃げまわっている、という話でした。
クマさんも取り立てに追い回されている、という噂がありました。
そんなわけで、クマさんには帰る家も自分のアパートもなかったみたいで、彼女の部屋にいるか、友人宅を転々としているようでした。
一度だけ私のアパートにも泊まっていったことがあります。何を話してどう過ごしたか覚えていませんが、朝起きたときにはクマさんはもういなくて、テーブルの上にクマさんが吸っていたショートホープが置いてありました。目立つように置いてあったから、一泊したお礼のつもりだったのかもしれません。

そんな不安定な生活をしていたけど、クマさんはとても明るく、一方で感情も激しく、よく人と衝突もしていました。
そしてトランペットは京都市内でも一目置かれる存在でした。
私の通っていた大学のジャズ研究会にも、学生ではないのに入り浸って、ジャズ研のビッグバンドではホーンセクションのまとめ役みたいでした。
一方私はジャズピアノを練習し始めていたのですが、大学のジャズ研には所属していませんでした。クマさんに「一度のぞきにきてみ」と言われましたが、ピアノ担当はもう何人もいて、私が入り込む余地はなさそうだったから、やめておいたのです。
実際に大学に在籍している私が参加していないのに、大学と関係ないクマさんが参加しているというのは、何ともおかしかったです。

クマさんの最大の特徴(?)は、約束をすっぽかすことでした。「BIG BOY」のシフトに入っていても、何の連絡もなく来ないことがしょっちゅうでした。
なにしろ昨夜はどこに泊まったのかも分からない、今みたいに携帯電話やスマホもない時代ですから、連絡のつけようがないのです。クビになりかけたことも何度もありますが、何日か音信不通であっても、また現れて、平然と働き続けていました。
このことから、「BIG BOY」の中では、約束の時間に現れないことを「シャケ行為」と呼んでいました。こんな感じで使うのです。
「○○が昨日、シャケ行為しよった!ずっと待っとったのに!!」