京都三条河原町、ジャズ喫茶「BIG BOY」の日々 ~「せんきれ帳」~
1980年代、私が学生時代にアルバイトをしていた、京都三条河原町近くのジャズ喫茶「BIG BOY」での日々を綴ります。
「BIG BOY」ではアルバイト仲間の落書き帳のようものが置いてありました。これは、ごくごく一部の超常連さん以外のお客さんには見せないノートでした。
そもそも何で、こういうノートが作られたのか、よく分かりません。表紙には「せんきれ帳」と書かれていました。
各々が腹が立って、ブチ切れたときに書いたのが始まりなのでしょうか、“せんきれ”とは、いわゆる今で言う「切れる」つまり、急激に激しく腹を立てることです。
当時、「切れる」という表現はなかったわけではないのでしょうが、今ほど普通に使われている表現ではなかったと思います。そういう表現が、いち早く使われていたことも今にして思うと面白く感じます。
話はそれますが、同じように「フリーアルバイター」という言葉も、「BIG BOY」の中ではよく使われていました。今でいう「フリーター」です。
当時はまだ「フリーター」という言い方は使われていませんでした。私のように学生のアルバイトもいましたが、「BIG BOY」でのアルバイトを生活の糧にしているスタッフもいました。
20台半ばか後半くらいでタモさんと呼ばれていた人はその代表格で、その人自身が「俺はフリーアルバイターやねん」と自称していたのです。
「せんきれ」と同様に、世間より早く「フリーアルバイター」という表現が「BIG BOY」の中では使われていたのです。
話が横道にそれてしまいましたが、その「せんきれ帳」に書かれていた内容は、独り言もあれば、あるスタッフが書いたことに対しての掛け合いもありました。 例えば次のような内容です。
(これはバイト仲間の中西君の結婚前夜の様子を他のスタッフが描写したものに、他のスタッフが続いて書いたもの)
(これは意味不明。書きなぐってあった)
こんな感じの内容が、その時その時のノリで書かれていたのです。
私は「BIG BOY」が閉店するとき、その中の一冊をもらってきました。
私の京都時代の宝物です。 「せんきれ帳」表紙。 裏表紙に書かれた、当時のバイトメンバー 「せんきれ帳」の中