ジャズが聴こえる

私の好きなジャズレコード、ミュージシャンの紹介や、ジャズにまつわる思い出話などを綴っていきます。

京都三条河原町、ジャズ喫茶「BIG BOY」の日々~まかない~

1980年代、私が学生時代にアルバイトをしていた、京都三条河原町近くのジャズ喫茶「BIG BOY」での日々を綴ります。


だいたい「BIG BOY」の店員は、アルバイトをしている多くの若者同様、みな貧乏でした。 そのため、バイトのための「まかない」がありました。
「まかない」というと語弊があるかもしれません。だれかが料理するわけでもない、ただ単に米を炊くだけなのです。

カウンター裏の片隅に、小さな2合炊きの炊飯器が置いてありました。それで、米を炊いてバイトが食事をとったのです。
何時に食べるか、だれが食べるか、特に決まっていた記憶はありません。何となく、「腹減ったし、そろそろ炊こか」という感じでした。
おかずはどうしたかというと、買ってくるのです。だから「まかない」ではないかもしれません。
「BIG BOY」があった通りには「餃子の王将」がありました。だいたいみんな、そこでテイクアウトでおかずだけ買ってきて、ご飯と一緒に食べたのです。

お金がない時には、卵かけご飯で食べました。卵は常に店にストックがありました。
「BIG BOY」では卵を使った料理はメニューにありませんでした。だから、この卵はバイトのためだけの卵です。
もっとも米を使ったメニューもなかったので、炊いていた米もバイトが食べるためだけにストックされていたものです。
このお腹を空かせた、お金のないアルバイトのために、店のメニューにとって全く必要ない米と卵を買っていたというのが、なんとも泣けてきます。
餃子の王将」などでおかずが買えないバイトの中には、おそらく卵を2個、いや、もしかしたら3個使って卵かけご飯を食べていた者もいたようです。
あるとき、リーダ格だった年長者のアルバイトがみんなに伝えました。 「卵は一日、一人一個と決めようや。ええな、卵は一人一個や」

米もみんな沢山食べました。2合炊きの炊飯器でしたが、だいたいいつも3合炊いていました。
最初、3合炊こうとするのを見た私は、「いや、無理だよ。絶対3合なんて炊けない。あふれてきたらどうすんの」といったのですが、「だ~いじょうぶやて」といなされてしまいました。
そして、実際、あふれんばかりに3合分の米が、みごとに炊きあがったのです。

食事は狭い倉庫の中で食べました。 倉庫の薄暗さとカビ臭さ、そしてご飯だけは大盛りの卵かけご飯。これもジャズ喫茶「BIG BOY」での、思い出のワンシーンです。