ジャズが聴こえる

私の好きなジャズレコード、ミュージシャンの紹介や、ジャズにまつわる思い出話などを綴っていきます。

京都三条河原町、ジャズ喫茶「BIG BOY」の日々~夜更けのセッション~

1980年代、私が学生時代にアルバイトをしていた、京都三条河原町近くのジャズ喫茶「BIG BOY」での日々を綴ります。


BIG BOYには店の奥に、JBLのスピーカーに挟まれる感じで、アップライトピアノが置かれていました。
以前はライブをやったこともあるらしいのですが、私が働いていた時は営業中にそのピアノが弾かれることはありませんでした。

店の営業が終わるのが午前2時。遅番の時はその後、バイト仲間と店に残ってお酒を飲んで過ごすことがありました。
朝まで飲み明かし、よく音楽の話をしました。もちろん音楽以外にも様々な話をしましたが、あまり覚えていません。音楽以外の話はだいたい、たわいもない、バカっ話だったと思います。
覚えているのは、店が閉めた後のカウンターで、真剣に語ったり、バカな話をして大笑いしたりした、あの時に自由な空気です。

自由というと、あいまいな表現になってしまい、何か私の記憶に残っているあの時の感覚と離れてしまう気もするのですが、他の表現が思いつきません。
自分は何でもできる、何物にもなれる感覚とでもいうのでしょうか。勿論、自分に才能があると感じていたわけではなく、むしろその逆で、その当時の私は自分に自信がなく、将来に対してもたまらなく不安だったのですが、自由としか今は表現が思いつかない、晴れ晴れとした、生き生きとした感覚を、その時の私は、あの地下の店内で感じていたのです。

特に同じ年のモトヤス君とは、よく居残って飲み明かしました。彼は一つのことに取り組むと、徹底的に突き詰めていくタイプで、私にとってはジャズの大先輩でした。
閉店後の店内で、彼のサックスを吹かせてもらったり、店にあるアップライトピアノを弾いたりして、セッションもしました。
セッションと言っても、私はまだスタンダード曲もよく知らなない、ジャズピアノの超初心者だったから、セッションなどとは呼べないでしょう。ある時は店内にあるグラスや金属製品をたたいて鳴らして、楽器と一緒にフリースタイルの演奏のまねごとをしまたのです。
酔っぱらいながら、そのようなセッションまがいのことをするのは、とても楽しかったのです。グラスをチーンと鳴らして、耳を澄ませてそれにピアノの音を合わせていく…。そんな遊びをよくやりました。

閉店後、語り合ったり、レコードを聴いたり、セッションもどきのことをしたり、そうして朝まで過ごす日が多くなりました。大学生の私は当然、大学には足が向かなくなってしまいました。
もっともっと音楽を聴きたい、知りたい、そして演奏したい気持ちが強くなっていったのです。

京都河原町の地下にある、BIG BOYという穴倉が、私の生活の中心になりつつありました。