ジャズが聴こえる

私の好きなジャズレコード、ミュージシャンの紹介や、ジャズにまつわる思い出話などを綴っていきます。

京都三条河原町、ジャズ喫茶「BIG BOY」の日々 ~「BIG BOY」との出会い~

1980年代、私が学生時代にアルバイトをしていた、京都三条河原町近くのジャズ喫茶「BIG BOY」での日々を綴ります。


私が初めて、ジャズ喫茶「BIG BOY」に足を踏み入れたのは、大学2回生の春でした。

受験生時代から「大学に行ったらバンドをやろう」と思っていた私は、入学して早速、雑誌のバンドメンバー募集の記事や、大学内での掲示をみて、いくつかのバンドに加わりました。
最初は主に、ロック系のバンドに参加してキーボードを弾いていました。 そうこうしてるうち、あるバンドでフュージョン好きのギタリストと知り合うことになります。
そのバンドではその人の主張で、ロック好きのリーダーの反対を押し切って、時々フュージョンの曲もやるようになっていきました。
フュージョンの曲を演奏するうち、ソロをとる楽しさを覚えた私は、もっとアドリブでソロが弾けるようになりたいと思い、「アドリブならジャズかな」と考えてジャズに興味を持ち始めたのです。
ロックは好きでしたが、どうしてもギターが中心になって、キーボードの私は若干、欲求不満気味だったのです。

だけどジャズを聴くといっても、何から聴けばいいか良く分かりません。だから私はまず、京都市内にあるジャズ喫茶に通うことにしました。
大学や、住んでいた近くにもジャズ喫茶はありましたが、時々河原町などの繁華街に出て、そこでもジャズ喫茶を探して立ち寄りました。

「BIG BOY」は三条河原町を一筋下った通りの地下にありました。
その通りは学生たちがよく利用する居酒屋、パブ、ディスコ、ボーリング場などが集まっていて、「親不孝通り」と呼ばれていました。 割とあか抜けた感じのする店も多数あり、あか抜けない冴えない学生を自認していた私は、なんとなくその通りにある「BIG BOY」は敬遠していました。

始めて「BIG BOY」に入ったその日、私は出入り口に一番近いカウンターの端っこに座ってコーヒーを注文しました。 店は混んでいて、カウンターは何人かの常連らしき人が、カウンター越しに店員と話しに盛り上がっています。
私は会話もない、穴倉みたいな暗いジャズ喫茶が好きで、そういう所のほうが自分に似合っていると勝手に思っていたから、何となくカウンターの片隅で肩身の狭い思いをしていました。アルバイトらしき店員も、今風の若い兄ちゃん、といった感じで、何となく場違いに感じた私は、しばらくして店を出てしまいました。
私と「BIG BOY」のファーストコンタクトは、そんな感じでした。

ジャズ喫茶巡りに明け暮れていた私は、そのうちジャズ喫茶でアルバイトをしようと思い立ちます。
客として店に行っていたらいくらお金があっても足りない。店員になればいっぱいジャズがきけるはずだ。
だけど大学付近にあるジャズ喫茶を何件か尋ねたのですが、どこも断られてしまいました。
ある時、河原町まで出かけたついでに「BIG BOY」の前を通ったら ――アルバイト募集―― の張り紙がしてあったのです。
あまり自分の好みの店ではなかったけれど、レコードは棚に沢山あったことは覚えていました。ジャズ喫茶でのアルバイト募集なんて、そんなにないんだ、ということに気が付いていた私は、思い切って「BIG BOY」に面接の申し込みをしました。
これが意外なことにあっさり採用されて、はれて私は「BIG BOY」の店員として働くことになったのです。

それから1年にも満たない間だけれど、私にとって忘れられない日々を過ごすことになる、「BIG BOY」でのアルバイト生活がスタートしたのです。 大学2回生の夏のことでした。